第70回卒業証書授与式式辞 校長式辞

頬うつ風の暖かさに確かな春の到来を感じる今日の佳き日に、岡山県立総社高等学校第70回卒業証書授与式を挙行いたしましたところ、岡山県教育委員会をはじめ、岡山県議会議員小野泰弘様、総社市長片岡聡一様、そして地元学校関係者など多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、このように盛大に挙行できますことは、私どもにとりましてこの上ない喜びであります。

ただいま、卒業証書を授与いたしました家政科39名、普通科233名の皆さん、御卒業おめでとうございます。そして保護者の皆様におかれましては、高校入学後一気に大人への階段を登り始めた我が子に、はらはらする思いを持ちながらも、健やかな成長を願い続けてこられました。今、その日々を思い出され、万感胸に迫る思いでいらっしゃることと拝察いたします。 その保護者の皆様の掌の珠であるお子様をお預かりして、教職員力をあわせて3カ年間の教育に努めさせていただきました。教職員を代表してお子様の御卒業を心からお祝い申し上げますとともに、本校の教育に対しまして、御理解と御支援を賜りましたことに、深く感謝し御礼申し上げます。

本日晴れの日を迎えた卒業生の皆さんの胸にはさまざま思い出が去来していることでしょう。その3年間を一言で語ることはできませんが、昨年7月の西日本豪雨において献身的なボランティア活動をしてくれたことに、ここで再度感謝の意を表します。私は君たちに何度か「総社高校から何をしてもらえるかではなく、総社高校のために何ができるかを考えてほしい」と訴えてきました。ボランティア活動をなさった皆さんはまさに「地元総社や被災地のために自分に何ができるか」を考えて行動してくれました。本当にありがとう。その熱い思いをいつまでも持ち続けてください。

本日は校長として卒業生の皆さんに語りかけることのできる最後の場であることに深い感慨を抱きつつ、はなむけのことばを贈りたいと思います。

一つ目は、「学びにより獲得した知識」は「実践」によって初めて本当の輝きを放つということです。

君たちも漢文の授業で中唐の詩人白居易について学んだことがあると思います。その白居易についてある逸話があります。白居易がある時、中国の禅宗の僧侶である鳥窠禅師のもとを訪れ「仏法の要は何か」と尋ねたところ、鳥窠禅師はこう答えました。「諸悪作すことなかれ、衆善奉行せよ」。その意を説明すると「一切の悪を行わず、多くの善を行え」というごく簡単な内容です。白居易は鳥窠禅師のあまりにも単純な答えを聞き、「そんなことは3歳の子どもでも知っていますよ」と返しました。すると鳥窠禅師は毅然とこう続けたのです。「確かに3歳の子どもでも、悪をなしてはならない、よいことをしなさいという道理は知っている。しかし、齢80歳の老人であっても、この道理を実践することはむずかしい」。 白居易は鳥窠禅師のことばを聞いて、自らの至らなさを瞬時に悟ったそうです。

私はこの逸話から「しっかりと学び、その学びを実践努力の中で試してみる。その実践こそが大切で、その実践を通してこそ物事の真理に迫ることができる」という教えを汲み取っています。現在推し進められている高等学校の教育改革の柱の一つが、「何を知っているか」から「その知っていることを用いて何ができるようになるか」という学びの転換であります。しかし、この教育改革は決して目新しいことではなく、白居易と鳥窠禅師の逸話も同じことを訴えています。伝統とは決して古いものではなく、いついかなる時代にも輝き続けるものなのです。我らが総社高校の校祖板野不着先生の教え「小才を斥して大成を期す」は、同じくこれからの高等学校の教育改革の柱の一つとして学校教育に求められる「社会に貢献できる人づくり」の実践につながることばです。不着先生の教えを根源とし、燦然と輝く真理を追究し続けてきた総社高校を卒業することに誇りに持ってもらいたいと思います。

二つ目は哲学者ニーチェの「『なぜ生きるか』を知っている者は、ほとんど、あらゆる『いかに生きるか』に耐えることができる」ということばです。

ある大学の先生がこのようなことをおっしゃいました。「大学入学後に大きく伸びるのは、本当にやりたいことがある学生です。その根底に成し遂げたい目的がある学生は、主体的に学び、他者と協働し、失敗しても自ら立ち上がって挑戦し続ける力を持っています」。これは専門学校などへの進学や就職も同じことでしょう。「会社に入って伸びる人材は、自分のなすべき仕事を見つけ、その仕事に誇りとやりがいをもって取り組む人材である」と言い換えることができます。今後君たちは「自分はなぜこんなしんどい思いをしているのだ」と、今ここに生きることに苦しむ自分と向き合う場面が出てきます。その時に、こういうことを成し遂げたいから、また自分にとってこういう意味があるから、頑張るんだというものがあれば、その苦しみに耐えることができます。そしてニーチェはこうも語っています。「高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ。高い所へは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない」どんなにつらくても、苦しくても、自分の力で自分の人生という山道を歩み続けてください。

そして三つ目はそれぞれ異なる道を歩み始める君たちの人生が幸多きものになることを願っているということです。どうか皆さんそれぞれの幸せを見つけてください。君たちはよい子なのです。幸せになれます。

結びにあたり、卒業生の皆さんに校長として最後の語りかけができた喜びを噛みしめるとともに、高き志を抱き総社高校を巣立っていく皆さんの大いなる飛躍を祈念して式辞といたします。

 

平成31年3月1日 岡山県立総社高等学校 校長 三谷昌士

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